ベトナム・チャウドックに住むチャム人たちが、なぜここに住んでいるのか。
チャムの人々への興味が、国を持たない流民の歴史、チャンパ王国の滅亡、北のベトナムとの攻防、一大海洋国家としての繁栄、連邦王国としてのユニークさ、日本との関わり、国家の起源へと興味が移り変わりました。
それはインドシナの地を南から北へ、チャンパ王国の歴史を、現代から過去へ逆に遡る旅へと変化していきました。
1693年、北から南進するベトナムが最後のチャンパ王国の地であったパーンドゥランガを併合します。
これと前後して、1692~94年、パーントゥランガのビントゥアン地方(ファンティエットの辺り)でチャム人の反乱が起こります。
ベトナムにより鎮圧されましたが、チャムの残党が当時のカンボジア王の庇護の下、コンポンチャムとプノンペン近郊へ移住しています。
ここにチャンパ王国が歴史から消えました。


チャムを受け入れたカンボジア側の状況を見てみましょう。
アンコールワットを建設した東南アジアの大国も、17世紀には西からタイ、東からベトナムの圧迫を受けていました。
タイに、カンボジア領の西半分を奪われ、ウドンに都を移し、メコン川沿いの国土の東半分のみを領有する状態でした。
これに先んじて、15世紀末からマレーシア商人が海路とメコン川水路を利用してカンボジアに商業ネットワークを形成していたと言われています。
これが人種の近いチャム人と融合し、カンボジアにチャム・マレー勢力を形成していたようです。

1641年、ウドンの王は、チャム人の妃を迎え、イスラームに改宗し、チャム・マレー勢力を取り込もうとしています。
1657年、ウドンの王がチャム・マレー勢力に暗殺される事件まで起きています。
こうした状況の中で、最後のチャンパ王国の地パーントゥランガのチャム人の移住が、現ベトナムからのカンボジアへ行われたと言う事です。
その後、カンボジア王家の内紛から被害を恐れたコンポンチャムに住むチャムの人々の一部が、チャウドックへ移住したという記事がありました。(このブログにコメントされた方の情報です。)
近代になり、フランスのインドシナ支配が進みました。
1875年、ウドンの王はベトナムに奪われていたチャウドックなどメコンデルタの旧領の町々を攻撃し一時的に占領します。
この時、チャウドックのチャム・マレー勢力がその支配に反乱を起こしています。
フランス支配、ベトナム戦争、ポルポト支配、カンボジア内戦など急激な歴史の変遷を経て、多くの人々の移動がチャウドックのチャム人にもあったことは想像に易いです。
チャンパの旅は、チャンパ王国の繁栄の時代へと移り変わって行きました。
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