2012.05.27

同窓会。応援の声しきり。

小学校・中学校時代の同窓会に行ってきました。

田舎なので、90名弱の同窓は小・中学校共9年間変わらず、誰がどこの家に住んでいるかも知っています。
同窓であり、遠い親戚のような感じです。

50歳を過ぎましたから、これから健康で再会できることが嬉しい限りです。
皆、テレビCMや、ドラマを観てくれているようです。
応援の声しきり。素直に嬉しく、これからも皆に見てもらえるようにテレビなどの映像の仕事をしたいと思いました。

皆の健康を祈り、そしてエネルギーをもらってきました。

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2012.05.26

鑑賞、観劇三昧

草加で、芝居仲間のハヅキが日本画の展示会に出展してるので立ち寄りました。
絵の鑑賞後、最近のドラマ出演の撮影の話などをしてきました。

その後、昨年の時間堂公演で共演した、百花さんの芝居と、小田さんの芝居を観に下北沢へ。
鑑賞、観劇三昧の1日でした。

エネルギーもらって、来週から芝居頑張ります。

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2012.05.25

舞台公演見て、リフレッシュ。

劇団・時間堂公演「ローザ」を観に、王子へ行ってきました。
シンプルで、役者主体の時間堂らしい芝居でした。

昨年の春の公演に出演させてもらっています。
同時に、劇団主催のワークショップも受けていたので、その後の舞台やドラマ、CMに出演するきっかけを作ってくれた場所でもあります。

芝居を観ながら、自分も演じていました。

原点に帰って、ちょっぴりリフレッシュ。

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2012.05.23

英語やるぞ!

英語を始めなきゃっ。

50歳過ぎて英語ですよ。

何なんでしょう、このやる気。英語で芝居をする気がして成らないんです。それがいつのことなのかは解りませんが。

大学時代は、英語部ESSで、英語の芝居をしていました。
あと、イギリスで放映されたCMに出演したことがあります。オーディションの時、他の人が日本語なのに、自分だけ英語で受け答えしたんです。

英語で自由に意志疎通が出来て、それが芝居の仕事に結び付く。言うことありません。

先ず中学英語を復習してから、WEBの英会話学校へと進みましょう。

英語を話す役って、どんなのが来るんでしょう。

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2012.05.21

金環食、見ました。

金環食見ましたか。

家の玄関先から見えるので、テレビのニュースで確認しながら、しっかり見ました。
鑑賞用のメガネは自分で作りました。昨晩、お菓子の箱に穴を開けて、黒い写真フィルムをテープで貼り付けて。
シッカリ見えましたよ。

周りの人は、あまり見なかった人が多いようです。でも祭りは参加しなくちゃ面白くない。

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2012.05.19

断水。

断水している。
子供の頃は、何度か経験しているが、40年くらい前の事だと思っていた。現実の世界です。

先週はたまたま筑波にいて、竜巻が発生した。
ここ1、2年でいろんな事が起きました。

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歯を治して、田舎道をゆく。

歯のインプラント治療が進んでいる。
夏には、新歯の設置が出来るとおもう。

病院のある、松戸の日大まで、自転車でゆっくり田舎道を行く。

5月、晴天です。

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2012.05.17

乗馬5級に合格。

乗馬ライセンス5級に合格した。
うれしい。しっかり履歴書に書こう。

ビギナーレベルだが、乗馬が楽しくなっている。
クラブで、個人用の馬の鞍(くら)を買いませんかと勧誘されたが、やめておこう。他に使い道がないので。

少しずつ上手く成って行くのを実感して行かないと、こういう習い事は続かない。

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2012.05.15

携帯電話を忘れると。

外出するとき、携帯電話を持って行くのを忘れたました。
忘れたのは、3、4年ぶりです。

携帯電話は、日常生活では要りませんが、役者業には必須アイテムです。
これがないと、芝居の連絡や打ち合わせが出来ません。

携帯電話が無かった時代は、自宅の留守電で連絡を取っていました。
外出先で、自宅の留守電を何度も聞き直したものです。

自宅のファックスも必須ですね。スタジオの地図や、芝居の絵コンテを送ってもらったりします。

昔の俳優さんて、自宅の電話の前で連絡をずっと待っていたなんて話も聞きます。
有名な女優さんが無名の頃、バイト先の電話でオーディションの合格を聞いて、その場に泣き崩れたなんて話も聞きました。
無名の役者が、役者業を続けて行くのが通信連絡の面で、大変な時代だったのでしょう。

役者業を続けられたのは、通信機器の発達もあったかも知れません。

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2012.05.14

芝居、また始めましょう。

自分のブログを読み返してみた。

2010年に50歳になって、一転して芝居への情熱を述べている。
芝居のワークショップに参加して、一回り以上年下の先生の指導の下、20代、30代の若い人たちの中に入って一緒に芝居の訓練をした。
その後、小劇団の芝居に出演して若い才能在る演出家、共演者たちと芝居をした。
その時、マネージャーに初めて舞台を見てもらった。
エステやスポーツジムに熱心に通ってもいる。歯の治療も始めた。乗馬も始めた。

今も、その時の決意を忘れずにいたいと思う。

ほっとして落ち着いたり、過ぎた役者の仕事を振り返ったりするほど自分はまだ売れていない。
これからまた新しいスタートの気持ちで、一つ一つやれることをして行きたい。
自分は芝居がしたいのだ。

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2012.05.13

どこで発声している。

事務所主催のワークショップに参加している人たちに、どこで発声練習しているか聞いてみた。
自宅が多い。

自分のように公園とか、スポーツジムの隅とかの人はいない。

劇団に所属している人や、舞台稽古中の人は稽古場で発声できるから問題ないと思うけど、声を出せる場所は少ないです。

公園で発声できるのは、真冬と真夏以外になります。

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2012.05.12

チャンパ王国を旅する。4 クイニョン

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ベトナムの中南部に、クイニョンという中堅都市があります。

10世紀末から15世紀中頃までチャンパ王国の中核をなしたヴィジャヤ国のあった地域です。
パーントゥランガ国のあったファンランの町からは、国道1号線を300km北上した場所です。

チャンパ王国は連邦王国です。
いくつかの王国が連なり、ヴィジャヤ国のような中核の王国が代表のチャンパ王を名乗り、パーントゥランガ国などを支配した形態の国家です。
中核のヴィジャヤ国が、北の大越国(当時のハノイにあったベト族の国家)に攻められると、王国の支配力が緩み、チャンパに10王が並び立ったという碑文もあります。
また逆に、アンコール・クメールが、ヴィジャヤ国を攻め陥落させると、連邦のパーントゥランガ国がチャンパ王を受け継ぎ、アンコール・クメール勢力を追い払い連邦をまとめることに成功しています。
日本のように中央集権型の島国からは想像し難い国家像です。

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クイニョンの町へは、国際空港のあるホーチミン市から飛行機なら1時間半で到着します。
現在でもチャンパ王国時代の遺跡であるチャム塔は7ヶ所残っています。

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15世紀初めに、中国・明朝の永楽帝が、鄭和の艦隊による南海遠征を行ったとき、寄航したチャンパの港がこのクイニョンのようです。

1471年、北の大越国はヴィジャヤ国を攻め、王都を破壊し、領有を宣言しました。
ここに400年にわたり栄えたチャンパ王国としてのヴィジャヤ国は滅亡します。
その後、チャンパ王国の正統は、南のパーントゥランガ国へ引き継がれて行きます。

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「国敗れて山河有り」。
クイニョンでは、チャム人の末裔を見かけませんでした。
クイニョンは、ベトナムの殖民が進み、300年後に、ベトナムを統一する光中帝を輩出するほどベトナム化します。
世界には、東ローマ帝国やインカ帝国など滅亡した国は数多くあります。
しかし、東南アジアにあり、日本と縁の深いチャンパ王国の滅亡には深い感慨を覚えずにはいられません。

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チャンパ王国を旅する。3 ファンラン

日本人旅行者が、ベトナムを旅して、国際空港のあるホーチミン市からチャンパ遺跡を見に行く場合、国道1号線をバスで北上して3時間のファンティエットの町か、6時間掛けてファンランの町へ行く場合が多いと思います。
この2つの町は共にチャンパ王国最後地、パーントゥランガ国があった地域です。
私が、1997年に初めてチャンパ遺跡を見に行った場所がファンランでした。
ファンランという地名が、パーントゥランガのベトナム語読みと知ったのはずっと後のことです。

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これらの地域には現在も多くのチャム人が住んでいます。
ファンティエットには、チャンパ王国の末裔の女王が住んでいます。
数年前、TV番組「世界ふしぎ発見」でチャンパ王国を紹介する回がありました。
その番組の中で、レポーターが女王と謁見し、王冠などを見せてもらうシーンがありました。
女王は中年の夫人で、一般の民家に住んでいます。
チャンパ王国に関する書籍には、この王家の写真が度々登場するのですが、写真には先代の母親に当たる方が紹介されていて、その娘として若い日の王女が写っているのが面白いところです。チャンパ王国は女系の王族です。
「風景のない国・チャンパ王国」という書籍の中で、作者がこの先代の女王に、王家の証明である漢字で書かれた古文書の写しを見せられる記事があります。
これはベトナム阮朝の明命帝のから、1824年にパーントゥランガ国の王であるとの冊封状(さくふうじょう:位階や称号の授与)を受けたものの写しのようです。

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ファンランの町は、ベトナムにしてはめずらしい乾燥地帯で、砂と岩とサボテンを目にすることでしょう。
漁業が中心で、土地は稲作には適さず、ドラゴンフルーツや葡萄の栽培が行われています。
2010年に十数年ぶりにファンランを訪れたとき、近くの漁港で米国に住むチャム人の女性にお会いする機会がありました。

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チャム人に興味を抱いた自分が、地方の漁村で偶然にチャムの人と出会ったことが不思議でなりません。英語でコミュニケーション出来たことが幸運でした。

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2012.05.11

チャンパ王国を旅する。2 コンポンチャム

ベトナム・チャウドックに住むチャム人たちが、なぜここに住んでいるのか。

チャムの人々への興味が、国を持たない流民の歴史、チャンパ王国の滅亡、北のベトナムとの攻防、一大海洋国家としての繁栄、連邦王国としてのユニークさ、日本との関わり、国家の起源へと興味が移り変わりました。
それはインドシナの地を南から北へ、チャンパ王国の歴史を、現代から過去へ逆に遡る旅へと変化していきました。

1693年、北から南進するベトナムが最後のチャンパ王国の地であったパーンドゥランガを併合します。
これと前後して、1692~94年、パーントゥランガのビントゥアン地方(ファンティエットの辺り)でチャム人の反乱が起こります。
ベトナムにより鎮圧されましたが、チャムの残党が当時のカンボジア王の庇護の下、コンポンチャムとプノンペン近郊へ移住しています。
ここにチャンパ王国が歴史から消えました。
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チャムを受け入れたカンボジア側の状況を見てみましょう。
アンコールワットを建設した東南アジアの大国も、17世紀には西からタイ、東からベトナムの圧迫を受けていました。
タイに、カンボジア領の西半分を奪われ、ウドンに都を移し、メコン川沿いの国土の東半分のみを領有する状態でした。

これに先んじて、15世紀末からマレーシア商人が海路とメコン川水路を利用してカンボジアに商業ネットワークを形成していたと言われています。
これが人種の近いチャム人と融合し、カンボジアにチャム・マレー勢力を形成していたようです。

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1641年、ウドンの王は、チャム人の妃を迎え、イスラームに改宗し、チャム・マレー勢力を取り込もうとしています。
1657年、ウドンの王がチャム・マレー勢力に暗殺される事件まで起きています。

こうした状況の中で、最後のチャンパ王国の地パーントゥランガのチャム人の移住が、現ベトナムからのカンボジアへ行われたと言う事です。

その後、カンボジア王家の内紛から被害を恐れたコンポンチャムに住むチャムの人々の一部が、チャウドックへ移住したという記事がありました。(このブログにコメントされた方の情報です。)

近代になり、フランスのインドシナ支配が進みました。
1875年、ウドンの王はベトナムに奪われていたチャウドックなどメコンデルタの旧領の町々を攻撃し一時的に占領します。
この時、チャウドックのチャム・マレー勢力がその支配に反乱を起こしています。

フランス支配、ベトナム戦争、ポルポト支配、カンボジア内戦など急激な歴史の変遷を経て、多くの人々の移動がチャウドックのチャム人にもあったことは想像に易いです。

チャンパの旅は、チャンパ王国の繁栄の時代へと移り変わって行きました。

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チャンパ王国を旅する。1 チャウドック

1997年にベトナムを旅し、メコン川沿いのカンボジア国境に近いチャウドックという町に立ち寄りました。
そこで運河と森の中から、白いモスクが現れたときにはビックリしました。
チャム人と呼ばれる人たちの村がそこにあり、イスラーム教を信仰し、マレー系の肌の浅黒い人たちで、ベトナム人、カンボジア人とも異なる容姿をしていました。
2世紀から17世紀に掛け、現在のベトナムの中南部に栄えた一大海洋国家のチャンパ王国の人たちの末裔でした。

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半年後に、再びベトナムを旅し、南シナ海に面したファンランという町で、チャンパ王国の遺跡を目にし、その荘厳さとユニークさに興味を引かれました。

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現在までチャンパに関する書籍を読みしらべては、その地を旅するというスタイルを繰り返しています。

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チャンパ王国は、北のベトナムに吸収されるかたちで滅亡し、現在はその地に残った石造りの塔や、少数民族として東南アジアや世界へ散って行ったチャムの人たちから、その国の面影を想像することしか出来ません。
かつては海のシルクロードの一翼を担い、日本とも縁の深い国であったチャンパ王国。
その興味は今も尽きません。

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